Gewalt-4
なぜ変わるのか・・
例えば工業製品なら、消費者のため、あるいは競合他社に勝つため、利便性、
デザイン性、コスト、環境対策など、あげればきりがないくらい、
変わるための要因があると思います。
では、いわゆる芸術と呼ばれる自己表現がなぜ変わらなかればいけないのか・・・
少し考えてみました。
「心境の変化」大きくも、小さくも、意外にこの言葉に集約されるような気がします。
たまにニュースで有名画家の作品が史上最高の価格で落札!とありますが、
実際に描いた作家がそれを目的に自己表現を行ったとは想像できません。
確かに作品を売るということは、目的のひとつになりうるかもしれません。
しかし、変化の要因は、やはり芸術家の内部にあるのではないでしょうか。
勝手な持論を書きましたが、そこには確かに変化があります。
それを便利な進化とはいえませんが、言葉を変えれば成長ともいえるのかもしれません?
白い線によって描かれた対象物からは、無機的な感じとともに、静かな透明感さえ
感じてしまいます。
これまでご紹介してまいりました Gewalt、Gewalt-2、Gewalt-3、と見比べてみると
確かな表現の変化のなかに、対象物の本質を見ている感じがしてきます。
皆さんはどう感じますか?
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