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男ノ子焼

八女の男ノ子(おのこ)

男ノ子焼き
男ノ子焼き

福岡県南部に位置する八女地方。
この地名の由来となったのが、日本書紀に登場する八女津媛だと言われています。
「この地に女神あり、その名を八女津媛といい常に山中にいる」。
この文の解釈として「この地は女性が多く、山の中で暮らしているので、大和朝廷に戦を思うことなどありません」つまり「平和を望んでいます」という意味が含まれているとする説もあります。
そしてその八女に「男ノ子」という地名があります。女性が多いと言われた地にあって、意味深い場所だったのかもしれません。

さて、その地で誕生した男ノ子焼の歴史ですが、約400年前にさかのぼります。
時代は安土桃山時代から江戸への過渡期でしょうか。
初代柳川藩主の立花宗茂によって開かれました。
宗茂は大変器量が大きく、忠義を貫く武将でした。
関ヶ原の戦いでは秀吉への恩義を重んじて西軍に付き、敗れて身分を剥奪されますが、再度旧領に復帰した唯一の武将です。
名だたる武将の中でも一目置かれる存在だったのではないでしょうか?
当時の器は茶壺や茶瓶茶碗などで、湿気を防ぎ、香気が変わらない焼き物として評価されました。
特色として肌色はナマコ色でした。そして約80年にわたり、地元柳川藩の御用窯として栄えたとされています。
その後、諸説ありますが、陶工が肥後の国(熊本県)に移った後、途絶えたとされています。
男ノ子焼が途絶えて約300年後の現在、地元の人々の熱心な働きかけのもと男ノ子焼は再興されました。

前述しました地理的・歴史的な背景も大変興味深く、本来の場所に戻り、新たなスタートを切ったこの焼き物を陶芸家の野田誓也さん、保存会の皆さんのご理解のもと、紹介する機会を授かりました。
今後この地で途絶えることなくこの焼き物が継承されることを強く願い、新たな角度から皆様にご提案できればと考えております。
また今後紹介記事にて男ノ子焼の背景や活動についてもご紹介したいと思います。
皆様もぜひ男ノ子焼の新しい歴史に触れてみてください。